幼稚園の先生はもう二度と戻りたくないほど過酷な現場だった

ブラック企業

今回はブラック企業の体験談を聞いてきました。

実際、ブラック企業に勤務された方に生の声を聞くと、独特の辛さがあったのでシェアしたいと思います。

今回、話をお聞きしたのは以下の人です。

【職業】
幼稚園教諭 22歳 女性

【勤続年数】
2年

【雇用形態】
正社員

ブラック企業の体験談

私は22歳の時に幼稚園の年少組の先生として働いていました。新卒で入社してから正社員として2年働いていました。

子どもが好きで、豊かな情操教育を目指して日々の保育に励んでいこうと入社当時は思っていました。

しかし入社した幼稚園にはお局をはじめとした年上の先生方が仕切る過酷な場所でした。

どのようなブラック企業だったのか

求人では8:00~18:00の勤務時間でした。

しかし実際に入社してみると、新人の先生は誰より早く来て全体の用意をする事が当たり前だと先輩の先生に言われたため、朝は7:30には来て他の先生が出勤する前に仕事を始めるようにしていました。

18:00には退勤時間のはずでしたが、毎日の会議が18:00過ぎから当たり前のように始まるため、帰る時間は早くても19:30退勤でした。

行事などがある時には毎日22:00まで残って仕事をしたりもしていました。私の幼稚園では新人の先生は保育を進めていくための日案を書き、先輩の先生に提出することになっていました。

その日案は2年間は書き続ける決まりになっていました。

毎日の保育の事で大事な書類であることはわかっていましたが、その日案を子どもたちが帰った後の事務時間にすることは許されず、帰ってからするように言われていたため、帰ってから毎日2時間は記録を書いていました。

しかし先輩に提出しては「少ない」と再提出を求められ、具体的な指示を得られないままに日案の作成をしていました。

そして「少ない」と言われ続けて1年後には、毎日15枚の日案の作成を深夜3時になるまで行っていました。

幼稚園では毎週・毎月に様々な行事があるため、事前に用意をしなければいけません。私の幼稚園では事前用意は新人の仕事との事だったため、他の先生が自分のクラスの事の用意をしている間、重たい荷物を一人で運んだり、行事に間に合うように使う物の修復をしたりしていました。

そうしているうちに自分のクラスの事も幼稚園にいる間に行うことは厳しくなり、クラスの用意も自宅に持って帰って行うようになりました。

徐々に生活もおかしくなっていきました。朝6:30に起床、7:30には幼稚園の朝の準備、16:00までクラス担任、19:30まで行事用意やクラス準備、深夜3時まで日案作成やクラス準備残り、深夜4時就寝。

頭はぼんやりします。自然と涙もこぼれます。それでもきっと、いつかは報われると信じて2年間続けていきました。

私の幼稚園には年上の先生ばかりで、仲の良い先生もできませんでした。

年上の先生たちが私の失敗などを見てクスクスと笑っていたりしているのは知っていました。それでも何とか気に入られて、いい関係にしていこうと自分なりに努力はしていたつもりです。

しかし聞こえるように悪口を言われたり、冷たく接しられると、表面上は笑顔を作れていても足の感覚を失い地面に立っているかすらわからないほどの恐怖を感じていました。

幼稚園には夏休みがあり、先生も交代出勤はあるものの、長期休みがありました。

けれど休みの間中はクラスで必要なものの製作や日案の再提出分、行事や幼稚園運営に必要な準備などで、長期休みのほとんども幼稚園の仕事を行っていました。

嬉しかったのは、その間だけでもほかの先生に悪口を言われたりすることがないということのみです。

生きがいも何もありませんでした。日常も自分自身も何をしているのかもわからない状態でした。突然自分の上に雷でも落ちて、死んでいたらいいのになんて思うことは日常茶飯事でした。

救いだったことは子どもたちとの関わりでした。子どもたちだけの前では本当の笑顔で接することが出来ました。

子どもたちが喜ぶように、こうしたい、ああしたいと思うことはたくさんありましたが、毎日の自宅残業でそれが実現することはありませんでした。

毎日書く日案も、提出しなければ年上の先生に厳しい小言や悪口を言われることに怯えてしまい、ただ文字を書くだけのものになっていたので、その日案を子どものことを思って書いたことはありませんでした。

ただ細かい字を15枚以上びっしり書く事だけに意識を集中していないと、睡眠時間が無くなる一方でした。

眠さに負けてしまい、日案を書き上げられない時もありました。そんな時には「こんなこともできないの?ほかの先生は当たり前にやってきた事だけど?」と言われます。

私も今まで他の先生はやってこれた事だと思っていたので、その当たり前のことが出来ない自分を情けなく思っていました。

入社して1年経ち、倉庫の片づけをしていた時です。今まで他の先生が書いてきた日案を保管している場所を見つけました。

少ないと言われる自分の日案と他の出来ているとされる先生たちの日案を比べて、自分に何が足りないのかが知りたくて日案を見てみました。

絶望し、その場で涙があふれてきました。内容の薄い、たった2~3枚の日案があるのです。1日たった2~3枚、それも字は大きく、内容は大雑把。

この1年間で15枚、細かい字でびっしり書いていた日案には何が足りなかったのか…。何が少なかったのか…。

1人だけ私と似たような日案を書いている人を見つけました。ちょうど1年前に書かれたものでした。ただその日案を書いた先生はこの幼稚園にはいません。

つまり、私の前に来た先生で、私が入社する前に辞めたのです。私と同じような目にあっていたのだと容易に予想が出来ました。

その先生のことを思うと涙が止まりませんでした。私はその瞬間に辞めようと決意しました。

すぐに辞めなかったのはその時点ですでに来年度の担任が発表されていたためでした。あと1年間我慢すればこの生活から解放されることを目標にして頑張ろうと決めました。

辞めると決意してからは生活自体は変わりませんでしたが、気持ちは楽になりました。どんなに小言を言われても「どうせこの人の顔も来年には見なくてよくなる」と思うようになりました。

怯えて震えることもありましたが、終わりが見えなかった去年と比べれば、辞める日が1日1日進んでいく今年の方が強く心を保つことが出来ました。

当然辞める事が先輩方に知れ渡ると、聞こえるようにこちらをちらちらと伺いながら悪口を言ってはクスクスと笑われていました。

不規則な生活やストレスから頻繁に偏頭痛を起こす事が多くなっていました。短い睡眠時間の間に悪夢を見てしまい、浅い睡眠のまま出勤する事もありました。

今考えるとおかしな生活も、当時その場で働いている間は感覚が麻痺してしまっているため、何もわかりませんでした。

入社して2年目、辞める先生はいなかったため、2年目も私が一番下の先生となりました。2年目になると1年目に比べて行事準備なども要領よく進めることが出来るようになっていました。

年上の先生たちに文句を言われる隙も無いほどに、あらゆる文句を想定して準備を進めるスキルも身に付きました。

きちんと用意したとしても何かにつけては文句は言われますが、もうその文句の言葉を聞くことにも麻痺していました。

この幼稚園には何の救いも期待しないであとの1年間を乗り切ることにしました。

幼稚園だけでなくその時にはすべての事、人、社会にすら救済を期待していませんでした。私の人生の中で一番心が死んでいた時期だと思います。

大人になることに憧れる子どもたちがいる中で、大人である自分が社会でやっていく中で心が瀕死のままで子どもたちと接していたことは今考えるとぞっとします。

子どもたちにも申し訳なく思います。子どもたちには私のような目に合うことなく、いろんな世界を見て憧れを持ったキラキラした目のまま大人になっていってほしいと願います。

私が憧れていた幼稚園の先生の像は儚くも散り、もう二度と自分は幼稚園の先生として働くことはないと断言できます。

たとえいい幼稚園があったとしても、この2年間のトラウマを克服できる自信はありません。もう二度と保育の現場には戻りません。

その状況を改善するためにしたこと

年上の先生方の中で、これ以上悪口などを言われることのないように怯えている姿を見せず、平然と心を持たぬ人形のように接することを心がけていました。

初めの頃には園長先生にも相談はしましたが、トラブルが苦手な園長先生は問題に本気で取り合ってくれず、「みんなあなたが成長していくために言ってくれている」などの言葉しか言われなかったため、幼稚園の職員誰のことも信用しませんでした。

辞める事を考えなかった時期はその状況をどう打開していくかすら考える暇がなく、だたとにかくこれ以上年上の先生の期限が悪くならないようにだけに集中していました。

勤務時間も就業時間のはずの18:00から会議が始まり、会議が終わった後も一番年下の先生が先に帰ることは許されなかったため、諦めていました。

辞めると決めてからは、自分の意見をできるだけ言うようにしていました。

意見が通ったこともなく、文句と悪口が増加していきましたが、辞めるため文句を言われようが悪口を言われようが関係ないと勇気を持って疑問に思った意見を言うようにしていました。

しかし意見が全く通らず、何一つ改善の兆しが見えなかったため、意見を言うことすらなくなっていきました。

行事の準備や記録がある中で、出来るだけ効率よく仕事ができるように実費で壁面の購入などもしていました。

園長先生はトラブルを避けたい人だったため、退職前に色々と相談を重ねた結果、退職金を少し多めに払っていただけることになりました。

日案を確認する先生も、確認もろくにせずに再提出や枚数増加を言ってきたため、日案をなくしていくか園長先生が確認するかにした方がいいことも伝えましたが、それが私が辞めた次の先生から改善されたかどうかはわかりません。

一日3時間以下の睡眠だったため、休日は保育の準備に支障が出ない程度にできるだけ多くの睡眠をとるようにしていました。

仕事に行きたくない気持ちを和らげるため、気休め程度にお守りを持ち歩いた時期もありました。神様でも誰でも救いを求めていたのだと思います。

これ以上自分の心が傷ついて泣き崩れることのないように、毎日死んだ自分の心を想像して年上の先生方と接していくようにしていました。

そのためか、今では並大抵のパワハラには何とも思わないようになりました。

自分にとって利を与えない人物への対応が上手になりました。人の表情の機微で相手のことが読めるようにもなりました。

職場いじめにあったことで心理学に興味を持ち、たくさんの専門書を読み、知識も増えました。

結果的にその仕事は辞めました。

仕事を辞めた理由

私が幼稚園を辞めたのは精神的な苦痛から逃れるためです。

心身ともに健康で、規則正しい生活をして自分に無理のないようにこれからの人生を楽しく生きていくためには、辞めることが一番の選択肢だったように思います。実際に辞めて正解でした。

ただ2年間の経験も苦痛でしたが、いい経験となりました。

生き地獄を味わったおかげで、死ぬ気になれば何でもできるという精神が生まれ、なんでも挑戦していこうという気持ちが芽生えました。

この2年間の苦痛があったからこそ、今の人生が輝いて見えるのかもしれません。

これからどんなどん底を経験したとしても、自分の足でしっかり地面に立って、立ち向かっていくすべを身に着けることが出来た気がします。

振り返るとよく2年間も安月給な仕事のために自分の精神をすり減らしてまで、早朝から深夜まで幼稚園の業務をしてこれたなと思います。

もう一度あの経験をしろと言われてもできる気がしません。

もちろん私が働いた現場がすべてではありません。友人が働いた幼稚園ではいじめもなく、無理な仕事もなく、一人に押し付けることもなく全体で協力して仕事を行う現場もあります。

私がブラックな幼稚園に努めたのはきっと私の人生で必要な経験だったに違いありません。

ブラック企業に勤めている方へのアドバイス

あなたはそのブラック企業に勤めていて、何か麻痺していませんか?

辞めてから気づけることもたくさんあります。私はブラック企業を辞めてから勤めた場所で人の優しさを思い出しました。

時間通りに仕事が終わる事や持ち帰りの仕事が何もない事にも驚きましたが、何よりも仲間に大事にされる職場がある事に驚きました。

もちろんそのような企業はたくさんあるのでしょうが、本当に感動したのです。

一人で抱え込まないように協力して仕事を進めてくれたり、わからないことは笑顔で答えてくれたりして先輩たちが大切に大切に教育してくれました。

再就職した職場も年上の方が多かったのですが、見事に年上の先輩のイメージを塗り替えられました。おかげで、とても気持ちよく働くことが出来ています。

自分の意見も言いやすく、その意見に対して周りも真剣に取り合ってくれます。先輩方がたくさん業務で助けてくれるため、私も何か役に立とうと自分で考えて積極的に多くの業務を行うようになりました。

私がやった業務に対して先輩方が「すごいね」「ありがとう」と言ってくれることがとても嬉しいです。

職場が変わるだけでこうも違うのかと実感させられました。転職する事で人生のステップアップになると思います。

たとえ転職した先がまたブラック企業でも、また転職をすればいいのだと思います。自分に合った職場で、前向きに物事に取り組めることが何よりも一番です。

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