IT系企業のプログラマーは女性でも休みがなく終電帰りのブラックだった

ブラック企業

今回はブラック企業の体験談を聞いてきました。

実際、ブラック企業に勤務された方に生の声を聞くと、独特の辛さがあったのでシェアしたいと思います。

今回、話をお聞きしたのは以下の人です。

【職業】
IT系企業のプログラマー 23歳 女性

【勤続年数】
2年半

【雇用形態】
正社員

ブラック企業の体験談

私は新卒の23歳の時にIT系企業のプログラマーとして働いていました。

初めて働いた会社だったので、就業時間が長くなったり、休日出勤が当たり前になっても「仕事とはこんなものか」と思っていましたが、今思えばそうではなかったと思います。

どのようなブラック企業だったのか

私が勤めていたIT系企業は、大手企業のグループ会社の下請けの会社でした。

ある工場のラインを動かすシステムの開発がメイン業務で、システムエンジニアになりたくてその会社に入った私も、まずはプログラマーからのスタートでした。

入社直後は研修期間で、ビジネスマナーからパソコンの基礎にいたるまでをみっちり叩き込まれました。

休みがなく終電帰りの毎日だった

研修後はそれぞれの部署に配属になるのですが、私にとって思いもよらなかったことがここで起きます。

それは、なんと転勤。入社2か月で私は支社に引っ越しを伴う異動を命じられてしまったのです。転勤先は縁もゆかりもない土地で、配属先は私以外に女性がいないグループでした。

この時点で不安はマックスでしたが、配属先の上司によれば「1人辞めて、とりあえず新しい人を入れたかったんだよ」とのことで、とりあえずでの人員補充なんだな…と、さらに落ち込んだことを覚えています。

とはいえ、引っ越しもしたのだし、とにかく仕事を頑張ろうと思ったのですが、配属先では新規プロジェクトの立ち上げが始まっていて、そのプロジェクトで使うプログラム言語はマイナーかつ社内で扱ったことのないものだと知らされました。

当然、私も他のメンバーも言語は勉強しなおし、プロジェクトも手探りでのスタートになります。そうすると、やはりプログラムを書いても実際に動かすと不具合が出て仕様変更の繰り返しでした。

工場の人からラインが止まってしまったとお怒りの電話が入ることもあり、急ぎのプログラム直しをすることもありました。

もちろん、新入社員だったのでプログラミングだけをやっているわけにはいかず、ミーティングの時は資料や会議室の準備をしたり、お茶出しもしていました。

もろもろの対応をしていると正規の就業時間では間に合わず、残業をするようになりました。

最初は1時間だったのが2時間、3時間となり、いつしか正規の就業時間後はコンビニエンスストアで夕飯を買いだすのが当たり前になっていました。

そうすると、慣れとは恐ろしいもので、残業時間はどんどん長くなっていき、終電で帰宅するようにもなりました。

今思えば、私以外のメンバーつまり先輩社員が皆帰らなかったから私も帰りにくくて、自然と残業するようになっていたように思います。

残業時間は月60~80時間くらいになっていたはずですが、会社から「残業については上司の許可を得るように」とのお達しが出ていました。

つまり、「上司が残業と判断しない時間は残業にしないよ」ということです。ですので、私の残業時間も上司が調整して月20時間ほどになるよう設定されていました。

ちなみに、残業代も会社の規定によってみなし残業代として給与に含まれていました。「だから他の会社より給料は高めです」と総務の人は言っていましたが、今思えばそんなことは決してなかったと思います。

また、謎だったのが(現在はわかりませんが)当時、私が勤めた会社の初任給は「5万円」でした。これも総務の人が「わが社は伝統的にそうなんです。次の月からはお給料が普通に出ますから」と言っていましたが、今でも納得がいきません。

さて、残業に残業を重ねてプロジェクトがうまくいっていたかというと決してそうではなく、やはり仕様変更や修正が毎日山積みでした。

そうなると、平日だけでは納期に間に合わないので土日に休日出勤することになります。これも、「間に合わないので土日も出社してください」と上司に言われたら「仕事だし上司が言うなら仕方ない」と出社していました。

このあたりになると、かなり麻痺していたと思います。月に休みはほぼなし、あっても午前か午後のどちらかは会社に行って、平日は終電帰りでした。

それでも、そういう生活が続くと麻痺していて大変だと思う余裕さえありませんでした。

心療内科に通うほど情緒不安定に

そんなある日、私は上司にある事務仕事をやるよう言われました。その仕事は月ごとの会計処理のひとつで、毎月行う業務でした。

今までは部署の別の人がやっていたのですが「あの人は大変だから、君それやっといて」という理由でした。あの、私も大変なんですけど…と言いそうになりましたが、やはり「仕事だし、上司がやれと言うならやらないと」とその仕事も受けるしかありませんでした。

プログラミングに加えて月次事務もやるとなると、さらに残業時間も増えました。が、次の月になったらまた上司が「これもやって」と仕事を増やそうとしたのです。

さすがに「すみません、仕事が手いっぱいなのですが…」と訴えると、上司は小さく舌打ちをして去っていきました。

その時、思わず上司を殴ってしまいそうになるほど頭に血が上って顔が熱くなったことを覚えています。が、次の瞬間には、私の体を支えていた力がすっと抜けてしまったように感じました。

その日から私は仕事に対してやる気を持てなくなってしまい、そうなると仕事もはかどらず、余計に残業しなければならなくなったりと悪循環が続き、家に帰ると涙が出たり、かと思ったら怒りが湧いたりで夜眠れなくもなり、ついには心療内科を訪ねるほど情緒不安定になってしまいました。

が、心療内科の先生とはあまりウマが合わず、出された薬も体に合わなくて、すぐに通うのを止めてしまいました。

そんな鬱々とした何日かが過ぎたある日、私は社内で腕時計を盗まれました。

当時は出社したら腕時計をはずしてデスクの上に置き、退社するまで置時計代わりにしていました。それが、お昼休みに昼食を買いに行っていたわずかな間になくなったのです。

最初はどこかに落としたかとあちこち探しましたが、腕時計は2度と見つかりませんでした。

ですが「盗まれたな」と確信したのは後日です。社内のあちこちで盗難騒ぎがあったのです。給湯室に置いてあったお客様のお土産がなくなったり、廊下にある共同冷蔵庫から、入れておいたものが盗まれて、それが原因で冷蔵庫が使用禁止になるという事態が発生しました。

犯人が誰であるにせよ、情けない事件が発生したことで、会社そのもののイメージも私の中で著しく下がっていきました。

転職を決意する

それでもどうにか2年働き、難航していた開発プロジェクトはどうにか納期に間に合ったものの、すんなり稼働といくはずはなく、相変わらず仕様変更と修正の嵐でした。

だんだん、自分がプログラムを書いているのか、ただコードをいじっているだけなのかわからなくなってくる時もありました。

自分の目指すシステムエンジニアに、この仕事をしていて果たして近づけるのかという焦りも出てきました。

そこに事務仕事もするとなると、だんだんと混乱してきて「この会社にいたら自分はどうにかなってしまうのではないか」となんとなく思うようになりました。

とはいえ新卒で入った会社では3年は勤めるべきだというし、だいだい転勤してきてよくわからない土地だし、仕事を探すと言っても大変だし、かと言って次の職場を決めないまま辞めるのも怖いのがあって、パソコンで転職サイトを見たりしながらも、動くことができずにいました。

しかし、いよいよ辛くなった私は現状を家族に打ち明けました。

心配をかけたくなくて、就業状態についてはあまり話していませんでしたが、肉体的にも精神的にもどうしようもなく耐えきれませんでした。

家族のアドバイスは「早くその会社を辞めなさい」でした。その、あまりにもシンプルながら難しい答えに私はそこでようやくたどりつき、転職を決意しました。

これが、私のブラック企業の就業についてと、そこを抜け出す決意をした体験談です。

その状況を改善するためにしたこと

新卒で勤めた会社がブラック企業で、就業時間が長く仕事の展望も見えないことから、私はどうにかして現状を改善しようと動きました。

転職をしようと決意はしたけれど、まずは状況を変えられないかと思ったからです。

ちょうど業務計画についての個人面談が上司とあったので、部署替えや本社に戻って現状を変えたいと訴えたのです。しかし上司の答えは「無理です」でした。

部署を変える権限は上司にはなく、転勤となればなおのこと会社全体の問題になると。

それでも、私が現在苦しいのは事実なんですと訴えるも、のれんに腕押しでした。(それどころか、上司に直談判した私を、なんと陰で「裏番」と呼んでいたと後で同僚から聞かされました)

直属の上司ではダメだと思い、本社から研修の時にお世話になった総務の方が出張で支社に来た際に相談しました。しかし、「大変だね。でも、もう少し頑張ってみようか」と言われるまでで、私の処遇まではどうしようもないとのことでした。

さらにこのあたりになると、直属の上司や同僚にも私が異動したがっていることが知れ渡ってしまい、部署にもかなり居づらくなりました。

これはもう転職をするしかないと私は転職活動を始めました。次の職場を決めずに退職を先に決めるのはリスクが高そうで怖かったからです。

転職活動にはPCサイトや転職エージェントを使いました。特にエージェントの人には会社の事情を知ってもらったうえで求人を紹介してもらえるので話が早く便利でした。

けれど、現住所が転職活動のネックになりました。その時住んでいたのは転勤先の地であり、私が就業を希望するのは転勤前の地だったのです。

応募はともかく、面接となると現地に赴くしかありません。まず、転職したいと思う企業を探して片っ端から応募し、土日に面接をしてくれるよう企業に調整を依頼して、面接のたびに新幹線に乗って移動しました。

しかし、どんなブラック企業であっても、新卒で3年経たないうちに辞めるのは印象が良くないのか、はたまた私自身の問題かはわかりませんが、面接をなかなか通ることができませんでした。

あまり移動が多いと貯金が足りなくなるし、そうかと言ってずっと今の会社で働くのも苦しいしと、当時の私はかなり苦しかったことを覚えています。

そうこうするうちに、転職活動ではなくやはり本社に戻りたいと思い、事あるごとに人事に訴え続けました。

結果、時間はかかりましたが、本社に戻れることにはなりました。

結果的にその仕事は辞めました。

仕事を辞めた理由

転勤先でのきつい業務を経て本社に戻ったものの、私が本社に着任したとたん配属先のグループから抜ける人が続出しました。

また、その年に入った後輩社員も休みがちだったりと、プロジェクトが成り立たない部署であることがすぐにわかりました。

事情はすぐにわかりましたが、その部署は人間関係も良くなく、誰か辞めてはどこかから補充してまた辞めていく部署だったのでした。

そしてやはり女性の社員は私だけで、私は最初の会社では女性社員と一緒に仕事をしたことはないままでした。これは、私が嫌われていたのか会社の都合だったのかはわかりませんが、近くに誰も同性がいないのはやりにくかったと今でも思います。

結局、勤務時間は支社にいた頃よりも長くなり、体ももたなそうでしたが、会社は「本社に戻してやっただろ」というスタンスで、ひたすら仕事をまわしてくるだけでした。

ああ、もうこの会社はダメだと早々に見切りをつけて、今度は退職先が見つからないまま配属先の上司に退職届を提出しました。

仕事をしながらの転職活動にはなりましたが、退職日までにはどうにか次の勤務先を見つけることができ、晴れて私は最初の会社を退職しました。

トータル2年半の短い間でしたが、ある意味では貴重かつ、もう2度としたくない経験でした。

ブラック企業に勤めている方へのアドバイス

私が新卒で入った会社で働いた2年半は、会社にいた時間が何より長かったです。

IT系企業だったり、プログラマーという職種では残業も休日出勤も当たり前ですが、会社と家の往復だけをしていると、だんだんと心も体もどこかすり減っていってしまったようでした。

幸いにも私が次に入った会社はシフト制で、残業は基本的になく、人間関係もまずまずで良好な勤務時間を過ごすことができました。私も心療内科のお世話になることもありませんでした。

働いていると、仕事だからこんなものかと思っているうちに勤務時間が長くなることはある話です。ただ、それが当たり前になってしまうのはやはり良くないことだと思います。

とはいえ自分の職場がもしかしたらブラック企業かもしれないと気づいても、仕事ですから生活もかかっていますし、家族がいたりしたら、すぐに辞めることはできないかもしれません。

ですが、職場環境を変える努力をして、それでも変わらない時は自分を取り巻く環境を自分で変えるしか手段はありません。

何より大切なのは心身の健康です。それにはちゃんと食べて寝られる環境が絶対に必要です。

社会に出たら、一日の大半を過ごすのが会社ですから、できるだけストレスの少ない環境にできるようにしてください。

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